悲しいほど美しい五島列島の旅、2日目。福江島のホテルの朝食。いつも痛々しいくらい飽食の限りを尽くしているオレも、朝はこれ位がちょうどいい。
福江島を一周する。
島のどこを切り取っても美しい。
「悲しいほど美しい」。川端康成は、小説「雪国」で、葉子の一途さ、純粋さを、こう表現した。
誰が言い始めたか、五島列島の美しさも「悲しいほど美しい」と表現されている。
禁教令撤廃後に建てられた教会が島のあちこちに残る五島列島。
教会を含めた島の情景は、ただ美しいのでは無く、悲しいほど美しいという表現しかできないものだった。
旅をしながら歴史を振り返る。江戸幕府の禁教令により、全ての教会は破壊され、宣教師は国外追放となる。
島原藩の圧政をきっかけに天草四郎を大将とするキリシタンが蜂起して島原・天草一揆を起こす。衝撃を受けた幕府はポルトガル船を追放し、鎖国を行う。
そして、1644年に最後の宣教師が殉職。
残されたキリシタンは、民衆レベルで共同体を維持しながら信仰を続けた。
彼らを潜伏キリシタンと呼ぶ。
鎖国が確立された事で、キリスト教徒に対する弾圧が250年以上も続く。
そんな状況下で、潜伏しながら信仰が受け継がれてきたという奇跡。
転機が訪れる。明治維新直前の1865年3月17日、公開が始まったばかりの長崎・大浦天主堂。
祈りをささげるフランス人のベルナール・プチジャン神父に、潜伏キリシタン15人が歩み寄り、自らの信仰を告白した。
いわゆる「信徒発見」だ。
しかし、その後も五島では、「五島崩れ」と呼ばれるキリシタンへの弾圧事件が起きる。
明治政府のキリシタン弾圧に、海外諸国からの批判が高まり、1873年にようやく禁教令は撤廃。
禁教令撤廃後、徐々に教会が造られた。
五島にある教会は、欧州にある様な豪華さや荘厳さは無い。
しかし、困難な状況にあっても信仰を受け継いで来た人たちへの畏敬の念が詰まっている教会は、どこか、悲しほど美しかった。